オーガニック

Organic 2007

Reggae wars recede
コートジボワールの若者たちはその最大の都市アビジャンは世界のレゲエ都市の一つであると確信している。
レゲエと言えばカリブ海に浮かぶジャマイカを連想するが、アビジャンにあるレゲエ・バーの数でも証明されるように、この国でその人気は非常に高い。レゲエ・バーで最も多く演奏される曲は伝説のボブ・マーレイ(Bob Marley)、そしてコートジボワール出身のアルファ・ブロンディー(Alpha Blondy)のものである。
「コートジボワールはレゲエで知られるアフリカで最初の国だ」「この国では軍隊が力を得ると人々はレゲエを演奏する」「僕たちのレゲエは変革を叫ぶ音楽であり、戦闘の音楽なんだ」「ここではその音楽が武器となる。それが他の国と違うところだよ」とアビジャンのシンガーはいう。
レゲエがどのようにコートジボワールの最先端音楽として広まったのか?
それは1980年代、すでにボブ・マーレイによって世界に広まっていたレゲエ・ミュージックを「それは俺たちのものだ!」と叫んだのがアルファ・ブロンディーだ。アルファは彼らが理解できる言葉(フランス語や地域部族が使うジュラ語など)で彼らの問題を歌い叫び、かつて誰も言い表わせなかった現実の事がらを歌った。
アルファが彼自身を表現し始めると、彼に続くアーティストたちが続々と現れ、多くのコートジボワールの若者たちがレゲエに傾向して行ったのである。
今でこそアビジャンのレゲエ・バーでも「peace and love」とささやかれるようになったが、つい最近までコートジボワールのレゲエにこのスピリッツは共有されていなかった。
反体制派のティケン・ジャー・ファコリー(Tiken Jah Fakoly)はローラン・バボ大統領を「最悪の大統領」と歌ってマリに追放され、大統領の熱心な支持者で好戦的な「Young Patriots」のリーダーでもあるセルジ・カシ(Serges Kassy)とレゲエ戦争を繰り広げてきたからだ。
しかし、コートジボワールの政治状況が改善してきている今、そのレゲエ戦争も和らいできている。ティケン・ジャーは彼の最新アルバム「L'Africain」に大統領と同部族のシンガー、ベタ・シモン(Beta Simon)とのデュエット曲「Ma Cote d'Ivoire」(わたしのコートジボワール)を収録し、その理由を「国民みんなが友達になれることを示したかった」と語っている。
また、セルジもティケン・ジャーをアビジャンに呼び戻してコンサートを開こうと説得しているという。ここにきてようやくコートジボワールのレゲエも本来の姿に戻りつつあるようだ。
15 Oct 2007