オーガニック

Organic 2008

How high the mountain
1953年にエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイがエベレスト登頂に成功したとき、それは信じられない偉業だと語られ、彼らは英雄となった。生きて帰る保証もなく、シェルパ族のノルゲイとニュージーランド人のヒラリーは標高8,850mという前人未到の地に立ったのである。それから半世紀、今まで推定2,000人が登頂に成功したといわれ、現在では年間何百という登山家がエベレスト山頂に挑む。
1921年に英国山岳会が遠征隊を派遣して以来、その登頂に成功することは歴史に永遠の名を残すことを意味した。何度もエベレストに登ったことのある山岳ガイドのケントン・クール氏は最初に登頂することほど難しいものはないという。「それは未知の世界に足を踏み入れることであり、これからどんなことに遭遇するか予測できないからだ」と彼はいう。
近年、登山家たちはクール氏のような山岳ガイドや経験豊富なシェルパ族を伴い、ロープの張られたルートを使ってエベレストに挑む。そして何よりハイテク軽量化された装備と衣類が彼らを助ける。ヒラリー氏が登頂したころに比べれば靴下ひとつとってみても大きな差があると彼はいう。酸素吸引システムも彼らが用意したものは非常に重く、テストもされていないような代物だった。
それでも尚、現在もエベレストは登山家に過酷な試練を与える。変わりやすい天候、滑りやすい氷のブロックに極端な寒さ、そして嵐や強風といった環境が登山家の生命を危険にさらし、彼らに後戻りを余儀なくさせる。そんな標高8,000mの上ではほとんどの登山家はその厳しい状況に3日と我慢ができない。
現在は登頂前に詳細な天気予報も得ることができる。しかし、1953年当時はそれもなかった。もし、天候に恵まれなかったなら、彼らの登頂はありえなかっただろうとクール氏はいう。
「確かに当時に比べればエベレストに登ることは安全になった」「しかし、それでもエベレストは同じ山である」「標高8,000mは身体も思うように動かない死の領域である」「それはまだ非常に大きく、そして非常に恐ろしい」
11 Jan 2008