オーガニック

Organic 2008

Mama Africa
「Mama Africa」として慕われた南アフリカ伝説のシンガー、ミリアム・マケーバ(Miriam Makeba)が心臓発作のためイタリア南部カゼルタ近郊の病院で亡くなった。享年76才である。
2005年に引退を決意し「farewell tour」を行ったミリアムだったが、9日、著書「死都ゴモラ」をめぐってマフィアから命を狙われている作家のロベルト・サヴィアーノ氏のために開かれたコンサートに出演。1時間半熱唱した直後にミリアムは倒れ、病院に運ばれたが、そのまま息を引き取った。
突然の死に元南アフリカ大統領のネルソン・マンデラ氏は声明を発表した。「ミリアムの突然の死は我々と我々の国を悲しませた」「我々が刑務所に監禁される以前から、何十年もの間、彼女は我々を楽しませてくれた」「そして彼女の忘れられないメロディーは31年間の国外追放という痛みを訴え、同時に我々に希望を吹き込んだ」「母国にもどった後も、苦しむ女性のために立ち上がり、最大限に自らの名声を利用し、今後は地雷による犠牲者の苦境を明らかにする予定であった」「まさしく彼女は南アフリカが誇る歌のファースト・レディーであって、ママ・アフリカと呼ばれるに値する」
1932年3月4日ヨハネスブルクで生まれたミリアムは6才で父親を亡くしている。彼女の歌姫としてのキャリアは1950年代にタウン・ジャズバンドのシンガーとして始まるが、その頃はレコーディングをしても著作権料は受け取っていなかった。そして1959年、「Manhattan Brothers」と共にアメリカツアーを行ってから彼女の名声は世界に知られるようになる。
アフリカンビートとジャズを融合させたミリアムの歌は従来のファンとジャズトレンディーたちを引きつけた。1962年にはマリリン・モンローがバースデイ・ソングを歌ったジョン・F・ケネディーの誕生日パーティーでもミリアムは歌声を披露している。しかし、そんな名声とは裏腹に1960年、ミリアムは反アパルトヘイトのドキュメンタリーを演じたとして南アフリカのパスポートを取り上げられる。彼女の母親が亡くなり、帰国するときのことであった。
追放の身となったミリアムは1960年代、アメリカでハリー・ベラフォンテと共に公民権運動にも携わるようになる。そんな中、アフリカ人女性として初めてグラミー賞を獲得するが、1969年人権運動家ストークリィ・カーマイケルと共にギニアに移住。その後はギニアの国連代表者として働き、1985年には一人娘を失ったショックを受けてブリュッセルに移住。その翌年、長年の功績を讃えられダグ・ハマーショルド平和賞を与えられた。
そして1990年に釈放されたネルソン・マンデラ氏に帰国するように頼まれたミリアムは31年ぶりに南アフリカの地を踏むのである。
ミリアムの一人娘は出産で命を落としたが、子供は生き残った。いまミリアムには2人の孫と3人のひ孫がいる。
10 Nov 2008