ウルトラヒップ Ultra-Hip

Island 50

Bob Marley, U2, Third World, Tom Tom Club, Jimmy Cliff, The B-52s, Kid Creole, etc。ヤシの木やiのロゴで知られるアイランド・レーベルから生まれたアーティストは数知れない。その「Island Record」が創設50年を迎え、来週ロンドンでその記念コンサートが皮切られる。創設者であるクリス・ブラックウェル氏がその50年を振り返った。
「Island Record」がスタートしたのは1959年、ジャマイカのモンテゴ湾。当時水上スキーのインストラクターをしていた22才のクリスはある夜、彼の滞在するホテルで演奏していたバミューダ出身のジャズ・ピアニストLance Haywardと出会うのである。その音に魅せられたクリスは彼をレコーディング・スタジオに連れ出した。その後もローカルなタレントを見つけ出してはレコーディングを続けていた。
1962年イギリス連邦内で独立したジャマイカで「白人である自分が過去の者として見られるようになった」と感じたクリスはロンドンに戻る。そして彼はそれまでにレコーディングしたレパートリーを愛車のミニ・クーパーに詰め込んでレコード・ショップに売り回ったのである。
そして1964年、クリスをヒット・メイカーに伸し上げた14才の少女が現れる。Millie Small、ジャマイカから連れられてレコーディングした「My Boy Lollipop」は6百万枚を売り上げるヒットとなった。「レコーディングを終えたときこの曲はヒットすると確信していた」という。しかし、一方でMillieはその爆発的ヒットを生かすことができず、いわゆる一発屋で終わってしまった。
それを教訓にクリスは経験豊かなアーティストを探し始める。そして1972年、彼はRobert Marleyに出会うのである。それまでクリスはレゲエ・シンガーとは出会ったこともなく、レコード契約もしたことがなかった。しかも誰もが彼とそのバンド「The Wailers」と仕事をするのは危険だとクリスに警告した。しかし、クリスは彼らにチェックを切り、レコードを作くるよう命じたのである。
「皆私を気違い呼ばわりしたよ」「彼らは絶対レコーディングなんかしやしない、最低の男たちだとね」しかし、結果的にそれが彼らのファースト・アルバム「Catch A Fire」を作らせたのである。
そしてもう一つ画期的な出来事だったのが1980年の6月。それはBob Marleyのロンドンでの最後のコンサートがクリスタル・パレス・ボウルで行われた後のことだった。クリスは近くのパブにアイリッシュ・バンドをチェックしに行ったのである。それがU2でクリスは即座に彼らのオーラを感じ取った。
「彼らにアドバイスすることはなにもなかった」「ただIsland Recordという土台を与えただけ」その後U2は長期的にレーベルを代表するアーティストとなった。
「今、音楽業界はあまりにも急ぎすぎている」と語るクリス。彼から見て今後20年活躍できるアーティストはほんの一握りしかいないという。「なぜなら彼らはあまりにも早デヴューしすぎるからだ」と絶え間ないスポットライトの中から生き残ることの難しさを指摘する。
1989年にアイランド・レーベルをポリグラムに売り、1997年に代表を引退したクリスはそれでも今の音楽業界は刺激的であるという。「もし、私が1962年当時の年齢ならば、今すぐにでもそこに飛び込んでいくよ」「ミニ・クーパーと一緒にね」
21 May 2009

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