オーガニック

Organic 2009

Scars of Nato bombing
1999年3月24日、Nato軍が旧ユーゴスラビアに空爆を開始してから10年。国連の賛同なしで11週間続いたその攻撃は主権国家に対してNatoが行った過去最大の軍事作戦である。セルビアの首都ベオグラードには今もなおその残骸があり、人々の心にもその傷跡が残っている。
セルビア南部に住むマクシッチさん家族は12才で亡くなったミロスラフくんを思い出すために近くの川に行く。空爆の終わったある8月の暑い日、ミロスラフくんは友達と川に遊びに来たときにクラスター爆弾に触れて命を落としたのである。
当時使用された「CBU-87」というクラスター爆弾は1個につき約200個の小型爆弾を搭載し、投下された爆弾はスピンしながら上空1,000mから100mの間で開き、缶ジュースほどの大きさの小型爆弾をまき散らす。その中には何百という金属片が詰め込まれており、爆発するとそれらが25mも飛び散って人々を殺傷させる。
ノルウェー外務省に資金提供された最近の報告によれば、空爆作戦から10年たった今でも9万人以上のセルビア人がクラスター爆弾の不発弾によって危険にさらされているという。その数はセルビアの15の区域で約2,500個と報告され、現状ではそれらが完全に撤去されるまで20年はかかると推定されている。
セルビアがクラスター爆弾禁止の国際条約に加わればこの問題解決のための資金供給も得やすくなるだろうが、まだ加盟してしない。
43才の元セルビア人将校は山中で不発弾処理をしているときに両手と片足の一部を失った。「その日からどんなに私の人生が変わったかを忘れることができない」「子供たちを散歩に連れて行くこともできなければ、手をつなぐこともできない」「私が命がけで戦ったセルビアという国を考えると、クラスター爆弾の国際禁止協定にサインしないというのは考えにくいことだ」と彼は語る。
1999年以来、セルビアの政治的展望は劇的に変化している。多くがUE統合に向かってはいるものの、今だヨーロッパから孤立しているのも事実である。それは戦争犯罪者として指名手配されている元軍のリーダー、ラトコ・ムラジッチが捕らえられるまで続くかもしれない。それでもこの10年という節目はセルビア人にとって過去の傷跡と現在の困難を考える引き金であるに違いない。
24 Mar 2009