オーガニック
Organic 2009
- Refuge in Tajikistan
- 1990年代タジキスタンが内戦中のとき、多くの人々がアフガニスタンに逃れた。そして今、多くのアフガニスタン人がタジキスタンに逃れている。中央アジアで最も貧しい国タジキスタンでは隣国のウズベキスタンやトルクメニスタンと違い多くの難民を受け入れている。
- ドゥシャンベから東へ約10Kmの街Vahdatで難民生活をしているファルツォナ・サキさんはアフガニスタンのNGOから発行された各種の難民証明書を整理しながらインタヴューに答えた。
- 彼女はカブールで子供達を救済する仕事をしていたが、タリバンに脅迫され国を去ることを強いられた。「私は未成年の少女達に彼女らの権利を教え、強制された結婚や早すぎる結婚が何であるかを説明しました」と語るサキさん。
- 「私はそこで4年間仕事をしていました」「そしてあるとき警告文書を受け取ったのです」「そこには私の教えはイスラム教に反し、キリスト教の価値観を教えていると」「その後私はカブールを去らなければならなくなったのです」と彼女は目に涙をにじませる。
- 幼児虐待はアフガニスタンで大きな問題とされている。国連難民政府機関によれば、彼女のような亡命者がタリバンからの迫害を逃れて日ごと増加している。ドゥシャンベUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の報告によると2008年には1,300人、2009年には5ヶ月でその2倍に達しているという。それも以前はタジキスタン国境付近のタジク人やウズベク人がほとんどだったが、最近はカンダハルやカプールからも人々が逃れて来るという。
- バーミヤン出身のサルトン・アリさんは当初パキスタンに逃れた。彼はそこで4人の子供をもうけたが今はタジキスタンに逃れている。それはその方が安全だからだ。しかし、その生活条件は非常に貧しい。国自体が貧しいタジキスタンはそれでも難民達に仕事やヘルスケアを提供するよう努力している。
- 多くのアフガニスタン難民と同じようにアリさんはマーケット売買人として働く。彼は他の家族と間借りしている2ベットルームの家賃を支払うのに最低でも月に80ドルの収入を得なければならない。そこには家具もなく水もガスも通っていないが彼は不平を言うことはない。一番大切なことはそこに戦争がないことだと彼はいう。
- アリさんの長女はUNHCRが運営するロシア語教室に通っている。ロシア語を学ぶ最初の壁はアルファベットだと彼女はいう。アフガニスタンで広く使われている言葉はダリ語でその文字はアラビア文字だからである。
- カブールで英語を勉強していた少年も必要性に応じて今はタジキスタンでロシア語を勉強している。彼らはいつの日か故国に戻れることを信じているが、故国の状態がすぐに良くなるとは誰も思ってはいない。そして、この仕事のない貧しいタジキスタンでの生活は経済的により発展した国での再定住の希望を抱かせる。
- 9 Oct 2009